情報操作


実は昨年秋、

















某テレビ局のインタビューとして、ぢょおうのコメントが流れています。















震災関連という以外は一応伏せておきますが、別に有名人としてとかではないのでご安心を。



そのときのインタビューは、テレビ局が任意の数人を選んでとられ、 編集されて電波にのりました。













ぢょおうは自分なりに、そのとき言えるせいいっぱいのコメントを正確にしたつもりです。



しかし、実際に流れたものを見ると、

まるでぢょおうが神戸に暮らしていてコメントしているかのように

受け止められるようにコメントが整理されていました。

全国に流れる放送であれば、これでもかまわない、

逆に、かえってこれでいいだろうと思わせるものでした。

しかし、地元神戸の人たちが見れば、ぢょおうがニセモノだというのは

すぐに見抜けてしまうと思います。

それを思うと心苦しく、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

またこの取材で、マスコミから発せられる情報が必ずしも正確ではなく、

故意または未必の故意によって曲げられて伝わっている場合があること を身をもって知ることとなりました。









話は変わりますが、取材の放送を聞いていて

小さいけど大きな発見がありました。

神戸で震災に会った人間と、そうでない人間との思いのベクトルの違いです。

神戸の出来事について、

ぢょおうや震災に関して深く関わろうとしてきた別の人から出てくるのは

     「忘れないために行動していくのだ」

というものなのに対し、



神戸の人は、

     「まだまだ心の傷が癒えず、本当は完全に忘れてしまいたいけれど

     なんとか伝えていく気になってもいいかなと思えるようになってきた。」

だけなのです。





ぢょおうは、どれだけ自分のやっていることが空回りなのかを

このインタビューで痛感しました。

ほかの地域のみなさんにお伝えすることは多少できていることと思います。

しかし、肝心の、神戸の方々のとなりびとである、という事に関しては

まったくできていなかったのです。

そしてまた、これはどれだけぢょおうがこれ以上深く関わって行こうとも

まったくの無力であることには変わりがないと思います。









ぢょおうのできることは、本当に本当にちいさなことでしかありません。














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